さて、前回の第1回で、札幌には「札幌ラーメン」と「トレンド系ラーメン」があるというお話をさせていただきました。
昭和30年代に味の三平が味噌ラーメンを開発してから、札幌ラーメンの今のスタイルが確立したわけですが、当然ながらそこには「系統」というか「流派」というか……いくつかのスタイルや個性が存在します。
第2回となる今回は、知っておいた方がラーメンの食べ歩きをより楽しめる、「札幌ラーメン」を知る上で最低限押さえておきたいお店や知っておきたいことに、触れてみたいと思います。
\第1回はこちら/
■目次
よく聞く「純すみ系」ってなに?
まずはこの系統のお話をしなくちゃなりませんね!
札幌ラーメン好きの人なら誰でも知っている系統の一つに「純すみ系」と呼ばれる系統があります。
これは「純連」と「すみれ」という2つの名店の頭文字をとって、そこから派生したお店の総称です。
創業者の村中明子さん、あるいは息子さんの村中教愛(のりよし)さん、村中伸宣(のぶよし)さんの名字を取って「村中系」と呼ばれることもあります。
ここからは純連のラーメンと、すみれのラーメンについて歴史を交えてまとめていきたいと思います。
「純すみ系」のルーツとなるお店「純連(じゅんれん)」の歴史
純連のルーツに関わる歴史の話から始めていきましょう。アカデミックにね!
1964年に村中明子さんが札幌市豊平区中の島にオープンしたのが「純連」。
実は、当初の「純連」の看板には「すみれ」のルビがふられていました。そのことからも当初の読み方は「すみれ」だったことがわかります。
もちろんオープン当初からその味の虜になる方は多かったと思いますが、地元の多くの人が知り、本格的な行列店になったのは1977年(昭和52年)頃からと聞いています。
さっぽろ雪まつりを取り上げる番組で純連が紹介され、それをきっかけにマスコミ取材が相次いだことがきっかけとのことです。
突然の閉店と再オープン
そして、オープン以降も行列が途切れることはなかったので、それがずっと続くかと思いきや……1982年(昭和57年)6月、人気絶頂の時にお店が突然閉店してしまうのです。
理由の一つは実家の庭先で営んでいた同店の管理の問題。広い敷地は雪かき一つをとっても大変だったことから、その実家を売却することになったというものです。
もう一つは、村中明子さんが股関節の持病で立ち仕事が大変になってきたことと伺っています。
お店を続けられないやむを得ない事情があったため一度はお店を閉めたものの、村中明子さんはどうしても諦めきれず、「身体に負担の無い範囲で、目立たない場所でひっそりとお店を再開しよう」と決意し再開を決めたそうです。
ところが!まぁ!既に純連ファンの多かった当時の札幌。宣伝もせずにひっそりとオープンしたにもかかわらず、お客さんがすぐに群がってきたのは想像に難くないでしょう。
でも事情を知らなかったであろう当時のファンがたくさん来たことで、きっと身体にもご負担がかかっていたんだろうと思うと、感謝と申し訳ない気持ち……ちょっと複雑な心境になりますね。
移転を繰り返すも人気衰えず、札幌ラーメンの代名詞に
さて、ここで純連の歴史を一旦まとめてみましょうか。簡単に年表を作ってみました。
年 月 | 歴 史 |
昭和39年 | 札幌市豊平区中の島に村中明子さんが「純連(すみれ)」をオープン |
昭和42年 | 札幌店建て替え |
昭和57年 | 突然お店を閉店 |
昭和58年 | 中央区南11条西1丁目に移転オープン |
昭和62年10月 | 札幌店を南区澄川に移転し2代目として長男の村中教愛氏が受け継ぐ |
平成6年8月 | 札幌店を南区澄川から豊平区平岸の現在地に移転 |
平成24年 | 三代目を山岸敬典氏が受け継ぐ |
平成25年2月 | 北31条店を東区にオープン |
平成30年2月 | 札幌店をリニューアルオープン |
昭和の時代はオープンから急な閉店・移転を繰り返していました。
そのせいか、札幌のラーメンファンの間では「人気が出ると逃げてしまうお店」という都市伝説が生まれます。お客さんは「逃げても追いかけるぞ」という思いがあったんでしょうね。
すごいのは、昭和30年代から令和の今の時代にいたるまでその味と人気を維持していること。
古臭くなるどころか、その与える影響はさらに大きくなり、今でも札幌ラーメンの代名詞として語り継がれています。
まさに北国のラーメン!純連(じゅんれん)の特徴
歴史よりラーメンが気になるという方!おまたせしました。ここからは純連のラーメンの特徴を解説していきます。
湯気が立たないほどスープを覆うラードの油膜
SNSやブログをやっている人はラーメンの写真を撮影することが多いと思います。もちろん私も「ラーメンを食べる前に写真を撮影する」というのはもはやルーティーンの一つになっています。
で、その時に「湯気でレンズが曇ってうまく撮影ができない」というのは「あるある」ですよね^^;
純連では「なんて撮影しやすいの!」とびっくりするかも知れません。ラードの膜がスープを覆っているためにまったく湯気が立っていないからね!
これも「純連あるある」です。
でも要注意!油膜の下はアッツアツのスープが潜んでいます!
純連最大の「あるある」は、油断して食べたら「上顎を火傷した」というのもかもしれません(笑)
いかにも札幌麺!なプリップリ食感
純連ではオープン以来ずっと森住製麺製の麺を使用しているのですが、いかにも札幌麺という加水率高めで縮れの強いプリップリの麺!
ラードをまとったこの縮れ麺を啜ると、唇までも美味しさを感じるから不思議!
そして札幌っ子はこのラーメンを食べているから冬でも唇は潤い指数120%。リップグロスなんて必要なしです!
一度食べたら忘れられない!純連(じゅんれん)の魅力…否、魔力!
さて、今の純すみ系に通じる、純連の味に関して書いておきたいと思います。一言で言えば「札幌ラーメンの特徴をより強く表現した味」という事になるのかな?
味の三平で生まれた札幌ラーメンの特徴は「ラードが効いて、濃厚で、ニンニクなどのスパイシーさがあり、アツアツのラーメン」だと言えると思います。
「味の三平」を説明している第1回はこちら
で、その特徴を「さらに強くしている」のが純すみ系の特徴とも言える気がします。
札幌味噌ラーメンに「革命」を起こす
「スープの上に膜ができるほどのラードの層で、濃厚かつ下のスープはアツアツ」
「味わいもそれまで以上にショッパく」
「ニンニクやその他の香味野菜などでさらにスパイシー感をアップ」
などなど……。
人を育てる時に「欠点を補うか」「長所を伸ばすのか」という議論になる事があるけど、「思いっきり札幌ラーメンの長所を伸ばした」ってことなのかも知れません。
味の三平が味噌ラーメンを「発明」したとするなら、純連は札幌味噌ラーメンに「革命」を起こしたと思っています。
一度食べたら忘れられない……それぐらいインパクトがあり、強く印象に残る味が純すみ系ラーメンの特徴、いや、それを通り越して「魔力」と言ってもいいんじゃないかな。
北国の寒さが最高のスパイス
「熱々で」「濃くて」「パンチがあって」……この特徴は、まさに寒い北国の気候風土から生まれた一杯なんじゃないでしょうか?
純連は本店も北31条店も人気のため、行列の覚悟が必要ですがその価値はあると思います。
今でこそ北海道の家の中は暖かいし、移動する車の中も暖かいから、北国=寒いとは言い切れなくなってしまったかも知れません。
それでも寒い冬にこのアッツアツのラーメンを食べると「身体も心も満足」という事がわかるかも?
本当に美味しさを味わいたい人は、寒い季節に公共交通機関を使ってお店まで徒歩で向かうってのアリかも知れませんよ!
ラーメンを食べて「生き返る~」どころか「生きてて良かった」と実感できるかも知れません!
もうひとつの「純すみ系」ルーツ、「すみれ」の歴史
現在、札幌市内のすみれは、中の島の「本店」「すすきの店」、そして2017年にオープンした「里塚店」の3店舗があり、関東には「横浜店」もあります。
言うまでもなく全部が人気店です。
さて、そのすみれの歴史について話していきましょう。
平成元年に先代・村中明子さんの三男・村中伸宜氏が「すみれ」の名を受け継ぎ、札幌市豊平区中の島にお店をオープンさせます。
先代は「純連」の文字だけじゃなく、その読み方の「すみれ」にも愛着があったと聞いています。
新横浜ラーメン博物館への出店
その後、平成6年には新横浜ラーメン博物館へ出店することとなります。
少しだけ個人的な話をさせてもらうと、東京にも「味噌ラーメン」を提供するお店はありましたし、その中には「札幌ラーメン」を謡うお店もありました。
ですが、正直「ちょっと違うんだよなぁ……」という思いをするお店が多かったのも事実。
東京でできたラーメン友達からも「札幌ラーメンってそんなに美味しいかね?」なんて言われて悲しい思いをしたこともありました。
そんな中やってきた新横浜ラーメン博物館への出店!
小馬鹿にしたラーメン友達を連れて行った時に目をまん丸くして「なにこれ!めちゃめちゃ美味しい」と言われた時の嬉しさ!
「そうだべ~!これが本物の札幌ラーメンなんだわ!」
と思わず北海道弁で自慢したことを思い出します。
札幌ラーメンの名を日本に轟かせた「すみれ」のラーメン
札幌で生まれ札幌で育ってきた純連&すみれ。場所が変われば食材も水も違うし、気候だって違う。同じ味を提供するには随分と苦労をされたと聞いています。
また、ラーメン博物館への出店は母・明子さん以外の親族の反対があったとも聞いています。違う土地での食材や水の違い、親族の反対……。
決して順風満帆では無かったと思いますが、よくぞ出店してくれた!と個人的には思ったなぁ。
私の話はどうでもいいですね。閑話休題。
それでも、新横浜ラーメン博物館へすみれが出店したことで、再び札幌ラーメンの評価が高くなったのは間違いないと思います。
「味の三平」で生まれた札幌ラーメンが、全国の北海道物産展でその真価を認められるようになったように、札幌で人気を博していた「すみれ」のラーメンが新横浜ラーメン博物館への出店で全国の人にそのすごさを認めさせた。
そういうと大げさでしょうか?でも、札幌ラーメンの歴史の中で一つのターニングポイントだったように思うのです。
純連もすみれもルーツは同じながら、多くのお弟子さんや孫弟子さんのお店を含めて、今でも進化を続けています。
全国のそうそうたる店が名を連ねる「すみれOB会」
ちなみに、すみれには「すみれOB会」なるものがあるそうです。
言うまでもなく、名前を連ねるそのすべてが大きな影響力をもつ人気店ですね。その人気店の店主たちが師匠の村中伸宣氏の下で、今も交流をもちながら切磋琢磨しているかと思うとちょっと震えるね!
まだまだ語りたい事は沢山あるけれどこの辺にしておこう。
長くなりましたが、札幌ラーメンを語る上で「純すみ系」という言葉をまずは知っておいてもらいたいと思ったわけです。
いま注目の勢いがある○○系!「らーめん信玄」
札幌のラーメンの系統はもちろん「純すみ系」だけではありません。
白樺山荘出身やてつや出身、そのほかの人気店でも「修行された方が独立してオープンする」というケースは少なくないのです。
そんな中で、最近独立してお店をオープンされる方が多くて勢いがある系譜の一つが「らーめん信玄」ではないでしょうか?
「純すみ系」以外の系統として「信玄」という名前を次に覚えておくと良いかも知れません。ということで、ここからは信玄のラーメンをご紹介したいと思います。
おすすめは「信州(コク味噌)」!
現在、らーめん信玄は花川本店と南6条店があります。南6条店はすすきのから少しだけ離れていますが、ほぼ中心部にあるため、観光客にも大人気のお店です。
その行列を目にしたことがある人も多いと思います。
信玄のメニュー名はユニークで、
- 越後(辛みそ)
- 信州(コク味噌)
- 土佐(あっさり塩)
- 播磨(こってり塩)
- 尾張(あっさり醤油)
- 水戸(こってり醤油)
という昔に存在した藩の名前が使われています。
もちろんどれもオススメですが、個人的には「信州(コク味噌)」を一度は食べてもらいたいところ!
油が少なめの優しい清湯系のスープ
味噌スープの色からこってり豚骨をイメージするかも知れませんが、実は割と清湯系のスープが使われているんです。
純すみ系に比較すると、油はかなり少な目で優しい口当たりが特徴です。
純すみ系が脂の膜で湯気が立たず写真が撮影しやすいのに比較して、湯気が立ち上るスープは撮影泣かせ(笑)
コク味噌(信州)の旨さの秘密は料理法に隠されている?
信玄のコク味噌(信州)を食べた人の評価で多いのは「コクがあるのにまろやか」という感想。
これはもちろんスープや味噌ダレにも秘密があるのでしょうが、その調理法にも秘密があるように思います。
仕上げる直前にスープをしっかり中華鍋で沸騰させているので、油分が乳化して一体化しているのも旨さに繋がっている気がします。
最近、信玄出身者のとあるお店であらためて調理をじっくり見ていましたが「おいおい、吹きこぼれるんじゃね?」とこっちが心配になるぐらいの火入れ。
そして、泡立った鍋の火を噴きこぼれる寸前に絶妙のタイミングで火落とし。
出来上がったスープのコクとまろやかさったらないですよ!
唇でも味わえる、縮れ強めの麺
そのスープに合わせるのは小林製麺の縮れが強い麺。すする時に唇を震わせる感触もたまりません。
先にも書いた通り、らーめん信玄出身者のお店はここ数年増えています。
「らーめん信玄」も札幌ラーメンの「系譜」を語る上で外すことのできない名前なので、ぜひ覚えておいてほしいところです!
さいごに
さて、札幌ラーメン最新事情2023の第2回目。「ド」が付くほど定番のお店、系統に関してご紹介しました。
本当ならもっと他の「系統」や「流派」(DNAと言ってもいいかも知れません)をご紹介したいところですが、今回は「ド定番」だけに焦点を当ててみました。
地元のラーメンファンにしてみたら物足りない内容だったかも知れません。あわてない~あわてない^^この先少しずつ掘り下げていき、新しいお店も紹介していきますから!
次回は、今回紹介したド定番のお店の流れを汲むお店の中から、何店かピックアップしたいと思っています。……が、なんせ今年は手探り状態。コロコロ変わったらごめんなさい(笑)
それでは、次回もよろしくお願いします。